拉致被害者・田口八重子さんが北朝鮮で日本語を教えたキム・ヒョンヒ元死刑囚と、田口さんの家族の面会が、韓国・プサンで行われました。面会のあと、3人は共同記者会見に臨み、心境を語りました。 「私の母である田口八重子さんに関して、本当にはっきりと『生きています』という証言をいただき、我々の救出活動に新たな希望が持てました。また、キムさんから温かいお言葉で『私が韓国のお母さんになりますよ』というひと言をいただきまして、本当にうれしい気持ちでいっぱいでした」(田口八重子さんの長男・飯塚耕一郎さん) 「きょう会ったらお母さん似で、ハンサムで、お母さんの姿が見え隠れしていました。この場に田口さんが一緒にいることができたら、どんなによかっただろうと思いました」(キム・ヒョンヒ元死刑囚) 「横田めぐみさんは、工作員の同僚であるキム・スッキに対して日本語を教えていました。スッキ工作員と一緒に暮らしながら、一緒に撮った写真を見て、いろいろ話も聞いていました。そして1987年、海外実習が終わって戻ったときに、韓国の人と結婚し、娘を産んだという話も聞きました」 「ただ、スッキ工作員と一緒に暮らしながら、一度、精神的な病気になり、入院したことがあった。しかし、それほど深刻なことではなかったという話も聞きました」(キム・ヒョンヒ元死刑囚) 記者会見はまず、飯塚繁雄さんからキム元死刑囚へのお礼の言葉、そして続いて、飯塚耕一郎さんが話しました。耕一郎さんはキム元死刑囚に対し、「自分の母である田口八重子さんがはっきり生きているという証言をもらい、救出への希望が持てた」。そして、「『私が韓国のお母さんになります』と言ってもらい、うれしい気持ちでいっぱいでした」と述べました。 その後、キム元死刑囚は韓国語で記者会見を続けました。まず、田口八重子さんの息子である耕一郎さんについては、「お母さん似でハンサムで、母親の田口さんの姿が見え隠れする。田口さんが息子に会えたら、どんなに喜ぶかと思った」と述べました。 また、田口八重子さん本人の消息について、田口さんが韓国人拉致被害者と結婚したかどうかという質問については、こう述べました。 「1987年当時、自分が北朝鮮で生活している時に聞いたことでは、田口さんがどこかに連れ去られたが、そのどこかが特定できない。ただ、田口さんが死亡したとは思えない。80年代に結婚させるという話があったけれども、結婚相手が誰だかは聞いていない」と述べました。 その他、横田めぐみさんの消息についても話がありました。キム・スッキという別の女性工作員と、キム元死刑囚はペアを組んで工作活動をしていました。 この女性工作員に、めぐみさんは日本語を教えていました。キム・スッキ工作員がキム元死刑囚に話したのは、めぐみさんは一時、精神的な病気になって入院したと聞いたけれども、それほど深刻ではなかった。めぐみさんが死亡したという話は信じられないと述べました。 記者会見はおよそ30分で終わりましたが、帰り際にキム元死刑囚が飯塚耕一郎さんの手を何度も握り、そして背中をさすったり、腕をさすったりして、何度も何度も田口さんの面影を耕一郎さんの中に見てとっているという姿が非常に印象に残りました。(11日14:14)