今回の震災で、福島県から東京にたった1人で避難してきた小学2年生の男の子のニュースです。離ればなれで暮らす親子が週末、1か月ぶりに再会しました。
東京・江東区の小学校。今月6日、始業式が終わり、子ども達が帰宅する中、グラウンドを1人歩く男の子がいました。2年生に編入してきた高橋恵輔くん(7)。親元を離れ、東京の避難所に1人で避難しています。
「ちょっと慣れていないところもあります。お母さんと離れちゃったところとか。寂しくて、まだ慣れていません」(高橋恵輔くん)
母・幸恵さんは、福島県二本松市で薬局の事務の仕事をしています。シングルマザーの幸恵さんは恵輔くんを養うため、週6日間、毎日、夜9時過ぎまで働いています。
二本松市は福島第一原発から40キロの位置にあり、避難区域ではありません。しかし、小学校では放射線の影響を考え、屋外での活動は制限され、体育も体育館の中で行われています。福島にいれば余震も相次ぐ中、家の中で1人、母親を待つことになる恵輔くん。
「とにかく一緒にいたいし、離れるのはつらいって気持ちはすごく大きかったんですけど・・・」(母・幸恵さん)
被災者への支援のため、仕事先の薬局もさらに忙しさを増したことから、幸恵さんは恵輔くんを東京の避難所させることを決めました。
「一緒に東京へは行けない」。恵輔くんにそう話すと・・・。
「『どうしてママは残れないの』って。とにかく『いやだ』って泣きましたね・・・」(母・幸恵さん)
1人で避難所に入った日に、恵輔くんが書いた手紙があります。
【恵輔くんの手紙】
「ままへ
ままなんか大きらいだ。もう、てがみもいらない。もう、あそびにこなくたっていい。かいしゃの人にもめいわくをかけるからいい。さみしいことも思い出すからいい。でも被爆したり死んじゃったりはしないでね。早く帰れるといいなあ。けいすけより」
幸恵さんはほぼ毎日、恵輔くんに手紙を書いています。しかし返事が来たのは1度だけ。そこに、恵輔くんの気持ちは書かれていませんでした。電話もすぐに切りたがります。
「すごく寂しい日はきっとそっけないんだと思います。そっけない日はきっと寂しいんだなってすごく感じますね」(母・幸恵さん)
新しい学校で、恵輔くんは元気に学校生活を送っていました。普段は笑顔を絶やさない恵輔くん。ところが、ふとしたやりとりの中で・・・。
(Q.なんでお母さんが離れていっちゃったのかなとか考えた?)
「考えたというか、知ってます。教えてもらった。だから知ってます」(高橋恵輔くん)
「1秒でも早く会いたいです」(母・幸恵さん)
離ればなれの生活が始まって、1か月が経った先週金曜日の夜。再開したばかりの東北新幹線のホームに、幸恵さんの姿がありました。東京へと急ぎます。東京では恵輔くんが待っています。
「どこの階段上ってるんだろう。一番あっちのぼってたりしないよなぁ・・・。お母さんは方向音痴だから」(高橋恵輔くん)
そして・・・。
「ママいた」(高橋恵輔くん)
「久しぶりの一緒の夜です。ぐっすり寝ています」(母・幸恵さん)
久しぶりに訪れた親子水入らずの時間。翌日、2人は東京スカイツリーを訪れました。はしゃぐ恵輔くんに、幸恵さんも自然と笑顔になります。
「1か月に1回は絶対に来ること。指切った」(高橋恵輔くん)
恵輔くんは、ずっとお母さんの手をにぎって離しませんでした。そして次の日の朝・・・。
「東京湾に行くけど、ママはとっても楽しみだけど、恵ちゃんは楽しみ?」(母・幸恵さん)
「楽しみじゃない・・・。ママが帰っちゃうから」(高橋恵輔くん)
再会からわずか1日。幸恵さんは福島に戻らなくてはなりません。
「じゃあ、またね」(母・幸恵さん)
また、離れ離れの生活がはじまります。(25日17:18)
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以上是日本留学网https://riben.liuxuequn.com/exam/日语组小编整理的2011年04月日语能力测试的《[日语学习网]社会:小学生ひとりで避難生活、母と再会》文章,恭祝大家考试顺利通过!